福岡高等裁判所 平成3年(う)343号 判決 1992年4月13日
本籍
大分県別府市大字鶴見二七四九番地の一二
住居
右同所
会社役員
吉岩規雄
昭和二七年一月二〇日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、平成三年一一月五日大分地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は検察官森統一出席のうえ審理し、次のとおり判決する。
主文
原判決を破棄する。
被告人を懲役一年及び罰金一七〇〇万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金一〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人山崎章三提出の控訴趣意書にこれに対する答弁は検察官森統一提出の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、原判決は、被告人を懲役一年及び罰金二二〇〇万円、懲役刑につき三年間刑の執行猶予に処したが、罰金額が高きに過ぎて不当に重い、というのである。
そこで原審記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は、金融業を営む被告人が税務署長に対し、昭和六一年分の実際総所得金額が九〇一五万〇七六四円であるのに一四五八万七〇三九円であり、昭和六三年分の実際総所得金額が六〇三〇万三二三八円であるのに一七一八万三五一四円である旨それぞれ内容虚偽の所得税確定申告書を提出し、四六一一万三六〇〇円及び二一九〇万六四〇〇円の所得税を免れたという事案であるところ、被告人は、金融業の業界における競争に生き残るために、売上金額(受取利息額)の一部を除外して所得税を免れることを企画し、従業員に指示していわゆる二重帳簿を作成させるなどの方法により、売上金額の一部を簿外に移し、あるいは貸付金債権の譲受代金の完済分を未払金として架空計上するなどして課税所得を圧縮し、所得税のほ脱を行っていたもので、犯行の動機に酌量の余地がなく、また犯行の態様も計画的かつ巧妙なもので、その刑責は重いものというべきである。
しかしながら、本件犯行が発覚して修正申告を行ったことにより、被告人には、重加算税や地方税を併せて約一億八二〇〇万円以上の税負担が生じ、逐次分割支払中で、この面からも一応の経済的制裁を受けていること、また、犯行の動機、態様、ほ脱額等の類似した同種事案と比較して、本件について特に重く罰しなければならない特段の事情は認められないこと並びに被告人が反省していること等の事情を斟酌したうえ、この種事犯に科せられている刑との均衡を考慮すると、原判決の量刑のうち被告人に対し二二〇〇万円の罰金を科した部分は額の点において重きにすぎるというべきである。論旨は理由がある。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八一条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に判決する。
原判決の認定した各事実に原判決と同一の法令、罰条(刑種の選択、併合罪の処理を含む)を適用し、その処断刑期の範囲内で被告人を懲役一年及び罰金一七〇〇万円に処し、刑法一八条により右罰金を完納することができないときは金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置し、同法二五条一項を適用して、この裁判確定の日から三年間右懲役刑の執行を猶予することとし、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 前田一昭 裁判官 德嶺弦良 裁判官 長谷川憲一)
平成三年(う)第三四三号
○ 控訴趣意書
被告人 吉岩規雄
右被告人にかかる所得税法違反被告事件の控訴趣意は左記のとおりである。
平成四年一月二一日
右弁護人 山崎章三
福岡高等裁判所第一刑事部 御中
第一 原判決は刑の量定が不当であり、破棄さるべきである。
一 原判決は「被告人を懲役一年及び罰金二二〇〇万円に処する。右罰金を完納することができないときは金一〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。この裁判の確定した日から三年間右懲役刑の執行を猶予する。」との判決を言渡した。
二 被告人は右判決の自由刑の判断には、検察官の求刑どおりの判決であってもあえて不服を述べない。というのも被告人が、本件一連の行為が許されない行為であること及び許されない理由を十分に理解しているからである。むしろ執行猶予付の判決には感謝さえしているのである。
三 従って、問題は本件被告人に対する「罰金二二〇〇万円」という科刑の当否である。これまた検察官の求刑どおりの判断である。原審は果たして本件事案の特殊性、被告人に固有の事情を十分に検討し、かつこれまでの裁判例などをも斟酌した上で判断を下したのか、それとも通常の自由刑を科す場合に、「執行猶予を付すから検察官の求刑通り」という、いわば慣行的な取扱いを単純に適用したにとどまるのか、判決文の上からは明らかでない。とにかく、被告人、弁護人として不満に思うのは、罰金刑の金額の点のみである。
第二 ではなぜ罰金刑に不満があるのか。それは以下の諸理由による。
一 被告人はすでに十二分の経済的制裁を受け、もしくは受けることになる。
即ち、
1 被告人は税務当局の指導に応じ、自主的に所得税の修正申告を行った。その結果、所得税本税が約一億一三六〇万円、これに対する重加算税が約二七一五万円、合計約一億四一〇〇万円の所得税が課せられることとなった。
これに伴い地方税(個人事業税、市県民税)も約四一二〇万円が新に課せられることとなった。
即ち、国税・地方税を合計すると被告人の租税負担額は実に約一億八二〇〇万円以上となった。
2 被告人は右税金の一時の納付が到底困難なため、平成二年五月以降、当局の許しを得て、国税、地方税の納付を毎月各一〇〇万円つづの分割納付としてもらっている。そして本日現在すでに国税約三四三四万円、地方税約二四一八万円の合計五八五二万円余円を納付している。しかしそれでも今後なお一億二三〇〇万円以上の税金を納付していかねばならない。これは被告人が毎月二〇〇万円づつという今のベースで納付していっても五年以上かかる計算になる。
3 のみならず右の計算では年一四・六パーセントといういわゆる延滞金を全く考慮していない。地方税は別として国税にはいわゆる延滞金減免の制度はなく、その納付方法については国税本税の支払を了した後改めて国税当局の指示により納付していかねばならないことになっているのである。被告人がこの延滞金を含めて税金の完全納付を終わるにはおそらく一〇年近い年月を必要とするであろう(原審被告人供述番号四〇)。被告人はこのことを考えるだけで途方にくれているのである。
4 そこで思うに、罰金刑は脱税事犯にあっては、これによって被告人に生じた不当な利得の剥奪を目的として科されるものとされている。しかりとすれば、本件では修正申告とこれに基づく新な租税賦課処分及び重加算税等によって、被告人はすでに不当利得を、完全に剥奪されており(原審弁論要旨第六項)、罰金刑の趣旨はもはや妥当しないとすら考えられる。
なお、検察官主張の如く、今日では脱税は殺人や窃盗等と同様の「自然犯」と考えるべきであるとしても、たとえば窃盗等で利益を得ても罰金刑は科せられないのであるから、「自然犯」の故をもって脱税に多額の罰金刑を科すことの根拠とすることはできないと言わねばならない。従って、罰金刑を科すべき場合としては、たとえば税の時効等で税務当局による追徴等が不可能とか、被告人に莫大な隠し財産が推認される場合などに限られるべきもの、という見解(大谷実・同志社大学教授)は傾聴に値するものと思われる。
5 ひるがえって被告人の資力(支払能力)はどうであろうか。
<1> まず被告人の家族構成は、実父母、妻、育ち盛りの二人の子供である(乙第一号証)。相当の生活費、教育費、医療費等が必要なことは想像にかたくない家族構成である。(特に、実父は目下植物人間の状態で相当長期の入院継続が見込まれている・原審被告人供述調書番号四九・五〇)
<2> 被告人本人の収入は目下皆無であり、生活費は妻の収入でまかなっている(同番号四七・四八、吉岩一江証人調書番号一七・一八)
将来的にも被告人はこれまで一貫して従事してきた小口金融業から貸金業法の規定によって当分の間全面的に排除されることになる。従って、被告人は収入の途を他に求める外なく、それが飲食店経営であるが、それは不本意な畑違いの分野であって不安の方がむしろ強く、被告人は将来的に大きな苦境に立たされている状態である。
因みに貸金業一筋に生きてきた被告人にとって、その従事資格を失うのは大事中の大事であり、正に「悔やんでも悔やみきれない」(原審被告人供述番号四六)大きな制裁となっている。
<3> 毎月二〇〇万円の税金の納付原資は、主に被告人の経営する会社に対する貸付金の返済を受けて、これで支払を続けているが、これにより被告人の会社に対する貸付金は完全になくなりほぼ無資産となる。しかもその返済を受けた分だけ会社の運用資金が減って行き(これは実質的には会社資本の払戻である)、場合によっては会社の将来さえ危ぶまれる。
<4> 以上のとおり、被告人の資力に明るい見通しのつくものは一つもない。被告人が現在の租税負担及び将来の延滞金負担に加えて本件による巨額の罰金刑の負担におびえるゆえんである。
なお、換刑処分としての労役場留置(本件では二二〇日)には仮釈放の制度もなく、本件以外になんらの前科、前歴もない被告人とって、もし罰金刑を支払えなかった場合の右留置場への恐怖は想像に難くない。
二 第二にそもそも本件事案における罰金二二〇〇万円という科刑は不相当に重いと言わざるを得ないものである。
即ち、
1 まず、本件ほ脱税額は約六八〇〇万円であるから罰金二二〇〇万円といえば三二パーセント強もの割合となる。これはこれまでの同種事案の判決例の平均が、実刑の場合二二パーセント、執行猶予の場合でも二四・八パーセントである(司法研修所編「税法違反事件の処理に関する実務上の諸問題」一八五頁以下)ことからすると異常に重い判決と言わざるを得ない。
2 原審がかように重い判決を言渡した事情は判文上何ら指摘されていないので明らかでない。仮に検察官の論告(第四項)にあるような被告人の職業(消費者金融業)一般に対する悪評価が考慮に入れられているとすれば、職業選択の自由、営業の自由に対するいわれなき不平等取扱いと考えざるをえない(被告人は業界ではむしろ良心的な業者とされている位である)。
3 本件脱税の手段・方法は、要するにいわゆる二重帳簿によるものであって、ごくありふれた幼稚かつ初歩的なものであって、他から模倣されると言った特に悪質ないし巧妙なものという訳でもない。
また本件ほ脱税額約六八〇〇万円という金額も、特に最近の政治家らによる巨額脱税事件に比べれば極めて少額と言ってよい。因みに、最近のこの政治家の脱税事件に関する東京地方裁判所判決は、罰金刑について、「脱税にかかる税金の未納が多く、それを果たせば財産が残らず、この状態で罰金刑を科し過重な負担を負わせることは、かえって被告人の将来の人生の再出発の妨げになる」として罰金刑を科さなかったものである(平成三年一一月二九日付朝日新聞夕刊)。
本件被告人についてもこの考え方が全く妥当するものである。即ち、被告人は、未だ本件脱税にかかる税金について一億二三〇〇万円以上の税金の未納分があり、今後ともその納税をしていかねばならず、更に数千万円とも予想される延滞金や重加算税等が課せられるのであって、それら納税を果たせば被告人にはもはやみるべき財産は全く残らず、悪くすると病気入院中の実父を含む家族六人の生活の維持も困難な状態に追い込まれかねないのである。
従って、被告人に二二〇〇万円という巨額の罰金を科すことは余りに過酷な制裁となり、被告人の再起を困難ならしめかねないことを是非ともご考慮願いたい。
4 以上から、要するに原審判決は罰金刑部分に関する限り、検察官の論告にひっぱられたものと言わざるを得ず、過去の裁判例からみても不相当に重い処分と言わざるを得ないものである。
第三 その他情状
原審に提出した弁論要旨を援用するが、特に強調したい点を要点のみ述べる。
<1> 本件脱税の中心的な動機は利益の確保、即ち個人資産の不正な蓄財を意図したのではなく、もっぱらいわゆるアングラマネーの資金提供者を秘すことにあったこと(弁論要旨第四項)
<2> そのアングラマネーを導入したのは同業者どうしの激しい競争の中にあって、それをしなければ被告人の事業そのものが息の根を止められていたからであること(同第二・四項)
<3> アングラマネーの運用益をできる限り表の利益に計上しようと努力してきたこと(同第四項)。即ち、当初から被告人に不正蓄財の意図があったのなら本件とは逆に裏の経費を表の経費に回すなどの操作をしていたはずである。
<4> 被告人の若年のころからの金融業一筋の勤勉な努力(同第二・三及び一〇項)
<5> 被告人並びにその家族が本件捜査、起訴、公判並びにそのマスコミ報道を通じてすでに多大な精神的、社会的制裁を受けていること(同第九項)
<6> 被告人が捜査、公判の過程を通じて今日では、公平な課税(納税)とその義務を正しく理解し、本件を心底より反省、悔悟し、二度と本件のようなことをくり返さないと誓っていること。従って、政治家などの場合と異なり仮にも一罰百戒的な発想にはなじまない事案であること(同一〇項)。